梨本卓幹の留学日記

ピアニスト梨本卓幹によるリアルタイム留学譚!

2021-02-15

[ポーランド編-中編]ショパンの人生をなぞる

Dzień dobry! (ポーランド語でこんにちは)

ということで、前回の『[ポーランド編-前編]ショパン音大のセミナーに参加した話とワルシャワの街』に引き続き、ポーランドでの2週間を1年越しに綴っていこうと思います。

前編をまだ読んでいない方は、是非そちらも!

ワルシャワで聴くコンサート

今回のセミナー中はタイミングや時期の兼ね合いであまり生演奏を聴く機会はありませんでした。が、そんな中でもセミナーのメインメニューのひとつ『ショパンコンクールの会場であるワルシャワフィルハーモニーで演奏を聴く』は無事に果たせました!

それも、ポーランドの青少年ためのショパンコンクール(?)のファイナル。2日間、8名のファイナリストによるショパンのコンチェルトをフルで聴きまくるというガッツリ系。

ショパンのピアノ協奏曲って2曲しかないので、正直同じ曲を何人も聴くのはなぁ、オペラとかオケの曲とか聴きたいなぁ、なんて思わなくもなかったんですが(笑)、まぁでもこんな機会でもなけりゃ同じ協奏曲を何人分も聴くなんてしないんですよ。結果的に、8人全員の演奏を聴いているとやはり、それぞれの準備具合や音楽の作り方、音楽を感じているポイント、自分の演奏の好み、といったことが見えてくるのが面白かったです。

(▲ロビーにいたショパン像ともちゃっかり撮影しましたよ〜)

あと、ホールの椅子がとても豪華でした。赤い、手触りの良い布座面、自分を包み込んでくれるようにラウンドした背板、そして座席間にはとてもゆったりとした余裕がある、そんな贅沢仕様の客席。

このくらい余裕があると聴く心にも余裕が生まれるなぁと思ったような記憶があります。(今や2〜3席開けて座るのが普通となってしまったために、感覚がもうわからない)

ショパンの生家 Żelazowa Wola

さてショパンといえばポーランド、ワルシャワ、パリ!というイメージが強いかもしれませんが、ポーランドはポーランドでも、ショパンが生まれたのはワルシャワではありません。ジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)というワルシャワから少し離れた町で生まれたそうです。

実際は本当に少しの間しかそこに住んでいなかったそうですが、それでもショパンのゼロポイントは大切ですよね。ちなみにここにもピアノが置かれています。

えーちなみにですが、マニアックな話をすると、現代のピアノとは違い並行弦であるところに萌えポイントがあります。(現代のピアノは弦の長さを稼ぐために斜めに交差するように貼られている。並行弦はその名の通り並行。) あとはこの綺麗な木目とオレンジに縁取りされた模様、曲線と直線がバランスよく混ざった造形美、という辺りでしょうか。

そして夏にはもう一台のスタインウェイ(こちらは現代のもの)を使ってコンサートも行われています。実は高校2年生のときにもポーランドに訪れたことがあって、そのときはそのコンサートを聴きました。家の中で奏でられるピアノの音に庭のベンチで耳を傾ける。そんな素敵な感じです。

(▲演奏を聞きに庭のベンチに集まる人々)

この敷地、とても広くて将来的にはどうのこうのっていう構想も展示されていた気がします。売店なんかもあって、ショパンの楽譜や他の国では買えないような珍しいCDたち、マグカップとかそういったものを買うことができます。

あ、ちなみに、広い広いお庭にはもちろんショパン像があります。前編でもご覧いただいたあのショパン像がこちら。かっこいい。

あ、さっきの夏のコンサートの写真を探すために高校の時の写真を見返していたら、こんなの見つけました。どうやらショパン像はもう一体あったようです。今回は気づかなかったなぁ・・・

せっかくなのでハイスクール・ボーイ・梨本をごらんください笑

ブロフフの教会

ワルシャワとジェラゾヴァヴォラの間を移動中、とある町に立ち寄ることになりました。その名はブロフフ (Brochów)。ここの聖洗礼者ヨハネと聖ロフ教会(kościół św Rocha i Jana Chrzciciela)でショパンは洗礼、つまり名付けを行われたそうです。

(▲壁にはショパンの名前が)

そしてこの教会、ショパンだけではなくその家族フレデリック家にとってもとても大切な地だったらしく、例えば両親や姉が結婚式をしたのもこの教会なんだとか。一家のことを記した手帳のようなものも展示されていました。

中はとてもきらびやかで、ワルシャワの聖十字架教会をはじめとするいろんな教会とは全く異なる雰囲気を感じました。

こうやって教会巡りをしていると、自分の無知が悔やまれますね本当に。美学とか建築の歴史とかを学べばいいのかな。

ショパン博物館 – Fryderyk Chopin Museum

さて、話をワルシャワに戻しまして。。。

ワルシャワ・ショパン音楽大学のすぐ隣にあるのがこちら、ショパン博物館(Fryderyk Chopin Museum)。レッスンや練習の合間にぽんっと行ってきてみました。チケットは博物館の外のチケットセンターで購入します。受け取るのはICカード。こいつを使って様々なガイド音声を聞くことができます。(かっこいいのでもらって帰りたくなりますが、帰るときには返却しなければいけません。)

さて、博物館の中には何が展示されているのかというと、ショパンの使っていた楽器や手稿譜、旅の記録といった所謂音楽家な部分と、ショパンの周りの人間関係、あとは演奏アーカイブなど。

中でもショパンの使っていたピアノの展示にはアツいものがありましたね!

なんか、作曲家本人が使っていた楽器や家具を見ると親近感わきません?いや、親近感というか、なんとういか、「この楽器や家具は実際に彼の生活を支え、作品を生み出す原動力の一つになっていたんだよな」って思うと、今まで遠い遠い存在だと思っていた作曲家が急に身近に感じるというか、本当に存在していたっていうリアリティを感じるというか。

この鍵盤に実際にショパンの指が触れて、音を奏でていたんだなぁ、彼の空間で同じ時を過ごしたんだなぁ!って思うとワクワクしませんか?? え、きもちわるい?そんなことないでしょ〜笑

でも真面目な話、200年も前の家具や楽器が今こうして現存しているって、とてつもない話だと思うんです。そしてその家具は、実際に楽譜の清書や友人とのお茶会、そしてこういったカリグラフィーの練習なんかに使われていた(と思われる)机。興奮せずにゃぁいられんでしょう!

(ところでこのカリグラフィーの練習、ショパンのものらしいのですが、こうやって清書の練習していたと思うと可愛いなって思いませんか?笑 こだわりポイントだったんだろうなって思ったら「あ、ショパンも人間だな。」って、また違うショパンの一面を垣間見たような気がしました)

他にもショパンを愛した女性たちの文書や絵画がありましたが、この辺はポーランド語しかなかったので雰囲気のみ味わい、途中「ポーランド語の響きを聞いとくのもいいか、意味は分かんないけど」という感じでポーランド語のガイド音声を聞いてみたりしつつ進んでいき、そして建物の一番奥まったところで出会ったのが、ショパンが亡くなったときのデスマスクでした。

『ショパンの死』

さて、本当は、この記事は前編に次ぐ後編になる予定だったのですが、どうやらこの記事は「中編」とせざるを得ない状況になってきました(筆が進むぜやっほぃ!)。ということで、今回はこの重そうなテーマについて語って締めくくりたいと思います。

(▲ワルシャワ旧市街〜夕方のシルエット)

ショパンの死。

病弱だった彼は39歳の若さでこの世を去っています。

今回このセミナーに参加していて感じていたことがあります。それは「ショパンの死」という出来事に対する、どこからともない畏怖。

まぁ、こうしてショパンの生涯をなぞるような貴重な展示の数々を見たり、彼の心臓が安置されている教会へ行ったり、そしてそして何よりレッスンで、先生方のショパンに対する絶対的なリスペクトを感じたりした、というのは少なからず影響しているのでしょう。でもこれは、スピリチュアルなそういう類のものではなくて、もっとこうポーランドの地に根付く意識というか共通の認識?そんな感じがします。

気がしてるだけかもしれませんけどね。冬で雰囲気が暗いせいかもしれないし。笑

でも、少なくとも僕のショパンに対する印象はより一層深いものへとなりました。今僕は25歳ですが、同じ25歳でも、ショパンの25歳はその病弱さ故に、もっとずっと濃く、死を身近に、つまり生を強く感じるものだったのだろうと思います。そんな人生で彼が紡ぎ出した音楽にどう取り組んでいくか。その深い思考への道をまた一歩進めることができたような、そんな気がしています。

(▲ワルシャワ・ショパン音楽院の練習室から)

ショパンの生きた道をなぞってみた

ということで、計画外の『中』編となった今回のポーランド編。いかがでしたか?思いの外濃い内容になりました笑

次回こそは、クラクフ旅行の話を・・・あと食べたものとかそういう気楽な部分を・・・笑

それでは次回!Sziasztok! あーんど Do widzenia!


↓ポーランド編の前編はこちら↓

↓ポーランド編の後編はこちら↓

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