卒業&完全帰国のご報告!
はてさて、時が流れるのは早いものです。ということでご報告回!
まずは卒業報告♪
▲左から、学長Andrea Vigh、ピアノ科主任教授Falkas Gábor、梨本
Photo: Liszt Academy / László Mudra
6月26日。今年(2020年9月から)在籍していたリスト音楽院の最高課程の一つ、ピアノ・ソリスト・コースを修了・卒業しました!
時代はコロナ。去年に引き続き、消えた授業、行けなくなったコンサートなどもいろいろとありました。しかし、「これ読んでみよう、あれも読んでみよう」といろんな曲に触れ、音楽とじっくり向き合い、さらに『ヨーロッパの地で現地のオーケストラと共演する』という憧れを叶えられたこの1年は自分の中ではとても大事なものになりました。
Photo: Liszt Academy / László Mudra
この3年間、本当に多くの刺激と学びを得ました。
街を歩けばそこには歴史の積み重ねが垣間見え、人と話せばハンガリー語特有のリズムを感じ、コンサートではワクワクと感動に出会い、ヨーロッパならではの街の風景や空の色を味わい・・・
在学中、各地から招かれるピアニストによるマスタークラスや、日本とハンガリーを繋ぐ数々のコンサートへの出演機会を恵んでいただきました。そうした場を通して、演奏家としての自分の在り方を考え、人々の演奏や音楽への接し方を自分の肌で感じることができました。
そんなリスト音楽院での留学生活も締めくくりを迎えたこの日。なんと、この卒業式でも卒業生代表として演奏する名誉をいただき、留学生活の最後をあの豪華絢爛な大ホールのステージで飾ることができました。
ちなみに演奏したのはバルトークのピアノソナタ第3楽章。笑
ディプロマコンサートで弾いた曲だし、ハンガリーにちなんでいるし、という学校側の提案で選んだわけですが、まあ卒業式に弾く曲じゃないよね。笑
まあ、そんなわけで、卒業しましたよ〜というお話でした!
そんでもって帰国の報告!
はい。卒業してこの先どうするの〜ということですが。
ひとまず留学はここで終わりにし、(自称)学生プロから本格的なプロピアニストとして歩み出すことにしました。今後は、この3年間、さらにそれまでの音楽教育で培った多くの学びと感性を持って、演奏家として生きていこうと思います。
ソロはもちろん、室内楽も伴奏も指導もバンバンやっていきたいなと思っています。(お仕事ください!!!)
↓ミニコラム的な。サムシング。↓
『聴く』ということ
このコロナの時代、多くの演奏の場が失われました。弾くほうも聴く方も関係なく。
もっとも、ここ数年のストリーミング文化の発展によって、音楽との接し方には大きな変化は生まれました。僕自身、細々YouTubeに演奏を載せたりしています。
でも、音楽はやっぱり、生でこそ伝わるものがある。
演者と聴衆が同じ空間にいるからこそ生まれる言外のコミュニケーションがあるはずなんです。同じ空気を伝わって届く音や光だからこそ共有できる感動があるはずなんです。
今後技術が進化していって、ものすごく素晴らしい音質や画質での配信が可能になったとしても、そのコミュニケーションだけは完全再現できないんじゃないかなと思っています。
有名な現代音楽作曲家、ジョン・ケージが『4分33秒』という作品を残しています。
演奏者が舞台に立って、ただ4分33秒間無言・無音をつらぬく、という曲。
「これを音楽と呼んでいいのか」とはよくある論争、というかまぁ無音ですからそりゃ生まれて然るべき疑問なわけです。この問いに対して僕が昔から思っていることは、「ジョンケージが見ているのは音を出す行為そのものではなく、聞こえる、感じる、思う、という、いわゆる”音楽”以外の部分なんじゃないか」ということ。
ホールとか、音楽を聴く様な静かな場所って、実は音を出さなくても鳴っている音があるのです。空調の音、観客の呼吸や衣擦れの音、照明の低周波、建物の軋みetc…
この作品のように、静かな空間にただ無言で座っていると、そういった音が聞こえてきます。その結果、その空間にいる他の人の存在をお互いに意識するようになる。すると「空間を共有している」という感覚が生まれてきます。その共有された空間を伝っていくのが、音楽なわけです。
さて、『聴く』とはどういうことでしょうね??
・・・なんだか何書いてるのかよく分からなくなってきてしまいましたが、今日が帰国後2週間の隔離最終日なので許してください笑
この留学日記も、書き切れてないことがたくさんあるのでもうしばらくハンガリーのお話とか投稿します!
その後はまだ未定ですが、ブログは続けたいなと思っていて、タイトルを変えてこのブログを続けるのか、別のブログを作るのか。。。まぁそのうち決まります笑
それじゃあ次回までSziasztok!!!