[ポーランド編-前編]ショパン音大のセミナーに参加した話とワルシャワの街
Jó napot! あ、いえ、今回はDzień dobry!
今回はポーランドに行った話をします!
・・・いや、お前いつの間にポーランド行ったんだこんな時期に!!とお思いの方。ご安心ください。去年の話です()
はい、書く書く詐欺をしていたあの話、ポーランドのショパン音大でセミナーに参加してきたよというお話、1年の月日を経てようやく記事にしようと思います。1年も経っちゃったらもう逆にアニバーサリーみたいな、ね?(黙
(▲ショパンの生家があるŻelazowa Wolaのショパン像とともに。)
[ポーランド編-後編]ショパン音大セミナーで買ったものやら見たものやら(観光編)
POLIJA セミナー
参加したのは、ポーランド市民交流友の会がワルシャワのショパン音楽大学と共同で開催しているプログラム。日程は途中クラクフへの旅行を含む2020年2月4日〜15日の11日間。セミナーが始まってから5日間毎日レッスンがあり、最後に受講生によるコンサートが開かれました。
基本的には皆さん日本からの参加なので飛行機や宿も全て手配してもらえます。留学中の僕も、「日本からではなく、ブダペストからの飛行機を自分で確保したい」というわがままを快く許していただけました。
(近いからそのうち予約すればいいや〜とうかうかしていたら、安い飛行機が無くなっていたというのはここだけの話)
レッスンと練習の日々
今回のセミナーでは3人のうち1人の先生のレッスンを集中的に受ける、というシステム。僕が今回レッスンを受けていたのはアンナ=スカプチンスカヤ=クイーン先生。リスト音楽院での師匠ドラフィ先生もとても信頼を寄せている、ショパン音大のトップ教授です。
計6回のレッスンで、スケルツォ3番、マズルカ、幻想ポロネーズなどを見ていただきいましたが、クイーン先生のレッスンはとても細かく、厳しく、とても身の詰まった素晴らしいレッスンでした。
また、他の先生のレッスンを聴講することもでき、それぞれの先生や講習生の様々な角度からの視点を学ぶことができました。
(▲ショパン音大エントランスにて学生諸君を見守るショパン様)
練習環境も最高でした。
ショパン音大の練習室を使えるのですが、受講生は二人ずつのグループに分けられ、その二人で一つの練習室を1日中使えるという素晴らしさ。
しかも、使ったほぼ全ての部屋にフルコン(コンサートで使うフルサイズのグランドピアノ)があったのがもう、なんとも衝撃的でした。なんなんだこの素晴らしき設備!
ピアノの講習会の一番のネックってやっぱり練習環境なんですよ。極端な話、ヴァイオリンとかクラリネットとかの人たちは自分の楽器なので、ホテルの部屋や公園で練習しようと思えばできると思うのです。しかしピアニストは自分の楽器を持ち歩かない(歩けない)ので、その場にあるものをみんなで使う他ないわけです。せっかく講習会に来ても練習できませんでした、なんてのはよくある話。だから、この講習会でのこの対応はとっっってもありがたいものでした!
あと、この窓から見える景色もまた良くて、夕焼けやら飛行機雲やら、あとト音記号のオブジェの周りで犬とボール遊びする男性だったり。練習に疲れて窓の外に目をやると心和む景色が広がっているのでした。
そして講習会の最後にはショパン像に見守られながらショパン音大のホールでコンサートがありました。僕はショパンのスケルツォ第3番を演奏しました。
当時はなんだか緊張もあったし感慨深さとかを感じている余裕はありませんでしたが、今こうして1年経って振り返ってみると、やはりいい時間だったなぁと思います。え?あ、これが思い出は美化されるってやつですかね?笑
泊まっていたところ!
さて、今回のセミナー、ショパン音大から徒歩10分ちょっと、旧市街の入り口にある、ショパン音大の学生寮、Dziekanka(ジェカンカ)に滞在することができました。ここは、かつてショパンの先生が住んでいた場所らしく、若かりしショパン少年もよく訪れていたんだとか。
お部屋はこんな感じ。ここは二人部屋なので、ルームメイトがいます。僕のルームメイトは藝大の後輩のMくん。顔見知りだったこともあって、とても気楽に快適に過ごすことができました。
さすがにベットは狭めではあるものの、いくつもの引き出しや棚、冷蔵庫や電気給湯器(汚くて使わなかったけど笑)、机なんかもあって、とても過ごしやすい空間でした。広いシャワールームも備え付けられており、ブダペストの我が家よりもよっぽど快適なシャワータイムを過ごすことができました笑
ちなみに別フロアにある(これもブダペストの我が家の数百倍いい)洗濯機を使いながら眺めた朝の景色はこちら。
こんな朝焼けの中洗濯をする気持ちよさですよ。
街歩き
旧市街
ワルシャワには旧市街があります。
カラフルな建物に石畳、様々ないわゆる”ヨーロッパっぽい”とてもきれいな街なんですが、実は戦争で一度完全に崩壊してしまっているのだそうです。それを写真や街の人々の記憶をたよりに傷一つまで完全復元したものが今あるワルシャワ旧市街。ふーむ、傷ひとつまで再現しようとするその思いの強さには感服です。
こういった講習会に来ると多くの人が練習室にこもります。もちろんその姿勢は素晴らしいことですが、僕はそれではもったいない!!と思うのです。
音楽というのは、楽譜と楽器と自分のみで構成される訳ではありません。せっかくショパンやその他たくさんの音楽家が生きたその土地にいるのであれば、自分の肌や目、口や耳といった全ての五感で彼らの息吹を、彼らの生きた街の鼓動を感じるべきだと、そう思うんです。
音楽は言葉とも大きく結びついています。街ゆく人々の喋る音の響きを感じながら街を歩いたり、頑張って簡単なポーランド語を覚えてものを買ってみたりすると、なんだか急にショパンが近く感じられたりするんです。
カフェ・テリメナ
ちなみにこのカフェはジェカンカのすぐ前にあるgreen Cafe NEROというこの辺りでは有名なチェーン店。チェーン店にまでそんな意味を求めるの?って思いました?まぁ、僕は求めてしまいますが(笑)、しかしこの店舗に限って言えば、もっと特別な意味があるのです。
チェーン店になるずっと前、ここは「TELIMENA」というカフェでした。そのテリメナにはショパンがよく通っていたんだとか。
このテリメナの横には一本の道があります。ショパンはここから花の都パリへと旅立っていったそうです。結果としてそれがショパンにとって母国の土を踏んだ最後の機会だったことになります。(ショパンはその後一度もポーランドに戻ることなく、パリで亡くなっている。)
聖十字架教会
ショパンの遺体はその後ポーランドに帰ることはありませんでした。しかし彼の心臓だけは、彼のお姉さんの必死の隠密行動によって祖国ポーランドへと戻ってくることができたのです。そんな心臓が保管されているのがこちら、聖十字架教会。
セミナー中何度となく足を運びました。思い大きな扉を開けると広がる教会内部は真っ白い壁に囲まれています。ウィーンやブダペストでみられる豪華絢爛な内部とは異なって無機質で静かなその空間に幾本もある装飾の少ない柱。その一つにショパンの像とプレートが掲げられています。
ここにショパンの心臓が埋め込まれているわけです。実際にその冷たい大理石のプレートや柱に触れてショパンに思いを馳せる。そんな時間はとても貴重なものでした。
実は高校2年のときにも一度ワルシャワを訪れたことがるんですが、そのときは初海外でもう全てがわからん!!!な状態だったんです。それでもなんとなく記憶に残っている景色があって、なんだか懐かしさというか、またやってきたんだなぁという感慨深さを覚えたのでした。
ワンジェンキ公園
さて、今回はこの辺で記事を一回終えて、他のクラクフ旅行やワルシャワフィルハーモニーでのコンサートを聴いたことなどはまた次回に書こうと思いますが、最後にこれだけ。
ショパンの有名な像があるワジェンキ公園にも、もちろん行ってきました。
この像、僕としては『ピアノの森』の印象が何故だか強いんですが、この像の近くには実はもう一人の大作曲家・ピアニストの銅像があります。ショパンの素晴らしきライバルであり、正反対の性格や作品の主でありながらお互いに強く意識しあっていた彼。そう我が学院の創始者、リスト様です。
これは全く知りませんでした。しかも、この配置がなかなか粋なんですよねぇ。
ね?
ショパンを見つめるリスト。なんだか胸熱です。
とりあえず今回はこの辺で
はい、ということで、ワルシャワのショパン音楽大学で昨年行われたセミナーに参加したよ、というお話を書きました!
素晴らしいレッスンとともに練習もできてコンサートもできて、友達もできて、さらに街を思う存分歩き回ることができた、素晴らしいセミナーだったなと思います。
次回はポーランド編続編として、クラクフ旅行やコンサートを聴いたこと、ショパンの生まれた場所のことなどを書こうかなと思います♪
ワルシャワの街で出会った美味しい記憶とともに、次回までsziasztok!!
あ、ポーランド語だと、Do widzenia (ドヴィゼーニャ)!!
▲今考えるとよく一人で入れたなって思うケーキ屋さんや、
▼旧市街でふらっと寄ってみたドーナツ屋さん
↓ポーランド編の中編はこちら!↓